【ワリトイイ camp】
<初日座談会/木村さん講義>
木村さんの講義では、ガラスに書いて合成していたVFXの昔話から、
加工前の元ネタ写真をインドへ撮りにいった話、規模やイメージの監督との打ち合わせ、そしてそれをレイヤーで重ねていく話、、、などなど、「キャシャーン」や「怪物君」の映画で出て来るマッドな風景の作られる行程が説明されました。
そしてそのような仕事は、まだまだ日本で認知度が低く、もっと普及したいと。絵を描く事の好きな人の延長上にある仕事であると。
当初、木村さんはコンピュター使いという印象だったが、
手で絵を書く/形で美しさを作るアナログ美術者である事にcamp参加者は気づいていった。
マッドアート/VFXの先駆者、そして元祖アーティストの木村さんに感謝!
<初日座談会/丹下さん講義>
丹下さんの講義は、目隠しジャン拳で始まった。
誰が勝ったのか解らない。
それは、普段は当たり前の視覚を再確認し、それを利用したのが映像=視覚芸術であると。
男女複数のダンサーが鮮やかなサポーターとダンスで反射鏡を見ているような作品。青色の波紋やシブキと左右に飛び交う音がリンクした作品。若い頃コンテンポラリーダンスをやっていた丹下さんのルーツを感じる映像を見た後、
またもや目を閉じて、ある曲を聞く事に、、、。
「どんな絵が浮かびますか?」っと丹下さん。
参加者数人に聞くと、「草原のような広い場所のイメージ、桜が歌詞に出て来たので、桜があって、、、」っと、似たような絵が多かった。「7割の人がイメージ出来る物以外を作るべき」っと若いアーティスト達に軽いゲンコツ。(みんな頭の中でうれしいニヤリ)
その曲用に作られた丹下さんの作品を見るや否や大爆笑!
そこには、青い目をしたちょんまげ男のアップがあった。
時代劇のセットと役者に敬意を払いながら、遠山の金さんの”桜”を引用したフルアタラしいものだった。
その後、福祉/社会に取り組んだ作品や自分の思いと仕事の立場で揺れ動いた事、そして311以降の思いを綴った詩で締めくくられた。
最終的に、個人的な思いまでさらけ出してくれた丹下さん。
一人の人間の葛藤がそこにあり、
惑わされない素直な命でいる為の決断に
参加者は自分を重ねるのでした。
丹下さんありがとう!
<初日座談会/zenshiさん、塙さん講義>
zenshiさんと塙さんの合同講義は、2人の目線を感じるものだった。
8年程前、蒼々たる有名ギャラリー8件が清澄白河の大型倉庫に突然集結し、アート業界に新しい風が吹いた。
大型荷物用エレベーターで上がるその建物の一角にzenshiさんのギャラリーがあった。
白い壁に、高額な絵。アート業界は常にそうである。
斬新なはずの清澄白河でさえ、そうである事に疑問を持ったzenshiさんは、その後、神田のビル群の中にガレージを借り、自分流を追求し始めた。
その疑問とは「垣根」だったようだ。
使わなくなった銭湯での「アート天国2010」、ギャラリーで開催されるスナック、萌え系との融合、アートのあるシェアハウス、メキシコなど日本人が目を向けないアートイベントなどへの参加などなど、
「垣根」を取り払うギャラリストとして、実験的に模索していく。
そもそもギャラリストとは何か?
ギャラリストは作品を作らない。しかしzenshiさんは、若いアーティストに見本を示すかの様に、自らの行動で作っていく。
そうしているうちに塙さんと出会い共同作業が始まるのであった。(塙さんの講義につづく、、、)
上も下も無い寛大なzenshiさんありがとう!
zenshiさんの講義から、塙(はなわ)さんの講義へ混ざりながら展開していった。
塙さんは元美容師だった。
アート業界の事を何も知らなかった塙さんは、井の頭公園で布に書いた絵を数百円で売っていたようだ。
絵描き達は、ギャラリーで個展を開きフライヤーを作る。「フライヤーって何?すげー!」っと当時の塙さん。
その後、知人を通じてzenshiさんと知り合い、毎回なにか言ってもらえるのが楽しみで足を運ぶようになった。
zenshiさんの「大きい場所と大きい絵の関係」というような話に自分流を重ね合わせ、場所は無いけど強い絵を描こうと、クレヨンを押しつけ、段ボールなどに膨大な量のビビッドな妖怪を描く。また、一つのギャラリーに2人のアーティストが作品を飾る企画で、塙さんに与えられた空間は、壁の無いサイド(窓側)。明らかに不利であるが、作品を吊るして準備する塙さん、、、その姿を見て、相手のアーティストは参加を拒否したと言う。
zenshiさんは塙さんのことを、融通が聞くアーティストと呼ぶ。
鳥取県境港市認定妖怪博士でもある塙さんは、自分の中で妖怪を生み出す。自分に起こっている現実からストーリーが発展し、妖怪が助けてくれるのだ。冬の徹夜で描いた時にはシルバーの魔人が助けてくれたと。そして、そのストーリーやディテールを描き伝える。
311後に原子炉妖怪も描いていた。平面から3Dへいつの間にか展開しフィギアも制作していた。
campの最終日の子供達とクラフトするオマケとして、この日の為に缶バッチも作って来てくれた。
目の前にある現実を妖怪ストーリーに変えてしまう塙さん。
彼の作り出す妖怪は、自分自身も周り人も助けてしまい、
参加者もオスソワケを頂いたのであった。
飾らない自分で居続ける塙さん。
ハナワンダーの世界、勇気をありがとう!
<二日目 フラードーム制作と鹿の解体>
「宇宙船地球号」この言葉は構造学者バックミンスターフラーのもの。自然から考案されたその構造はテントや南極の拠点などで使用されている。その構造の多面三角形構造円周20メーターのフラードームを竹とビニールシートで作る事になった。
竹を割るのも初めて、三角系の割り出し方を考えるのも小学校ぶり。大人が試行錯誤する姿は忘れかけていた連帯やコミュニティをかいま見る。竹班と布班に別れ一日がかりで制作、何度も間違いを繰り返し、大きななドームが完成した。
この作り方は災害や簡易的な屋根としても利用できるだろう。
お昼ご飯には、鹿を解体。
スーパーにある肉は、すでに“肉”となっている。
形ある状態から”肉”になる過程を見る事は重要な食育となるからだ。
30代の若いハンターに皮を剥ぐ作業、ももを分ける作業、細部の肉の名称を教えてもらい、動物と森の現状について話してもらった。
その後、お肉は衛生上問題の無いよう調理されバーベキューとなって胃袋の中へ消えて行った。食べられない人も出て来るかと思ったが、むしろ逆で、ありがたく・美味しく・ぺろっと無くなってしまった。
<3日目 子供達とアクセサリー作り>
鹿の角や木の葉や枝でアクセサリーやオブジェを作ってみる。
3日目は、このキャンプで学んだ事や感じた事を子供達へ繋げていく実践だと考えた。
子供達は何も知らない。
再利用する事、そのままの自然を生かす事、物作りをする時にどういうプロセスを踏むのか、どうしてそうするのか、、、いろいろな事を楽しみながら一緒に作っていかなければならない。
キャンプに集まった成人参加者は、ほとんどが、デザイナーやプログラマーやアーティストだった。
彼らは表現する立場から、表現を支える立場に変わるのが3日目だった。サイクルが一周して自分の原点をかいま見ているのでは無いかと思った。
そしてみんな楽しそうに子供達と遊んでいた。
チラシ表 https://docs.google.com/open?id=0BzRgdJO6P9rNMlFRcEI2UVdXY0U チラシ裏ゲストプロフィール https://docs.google.com/open?id=0BzRgdJO6P9rNU2g0OFBzcTVrUUU